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- 作者: 藤井誠二
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/12/01
- メディア: 新書
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気まぐれによる暴行を受けて息子を亡くした武夫妻はこう述べている。
武和光 少年が謝罪をしたら被害者の親も癒されるという発想がありますよね。謝罪を受け入れる被害者がいい被害者なわけですよ。
武るり子 そういう人もいるかもしれない。でも私は一生憎むことを大事にしたい。そういう気持ちを失いたくないし、私は一生憎むことを大事にしたい。そういう気持ちを失いたくないし、私は加害者に癒されたくない。ただ、するべきことをしているだけです。事実を認定して、少年に合った罰を与えてほしい。
被害者遺族たちは、ほぼ例外なく「加害者の人生などどうでもいい」と言い切っている。例えば村井玲子さんは「加害少年が立ち直るかどうかは、私の考えの中にはない」という。そこには、希望的観測に基づいた物語に回収されえない憎しみだけがある。彼らが生きるのはそんな物語ではなく、際限のない日常である。
その日常のなかでは、憎しみを軽減することさえ難しい制度的な問題点に直面しなくてはならない。この制度設計の問題点は、そもそも被害者の心情よりも加害者少年の更正に重点が置かれていたことに起因する。こうした制度の確立された過程は、狂気と犯罪 (講談社+α新書)で扱われていた。
もちろん、芹沢一也がいうように被害者への同情とセキュリティ強化を単純に結びつけるような態度はナイーブすぎる。同情と理解には相当な距離が横たわっている。