レイモンド・カーヴァー「出かけるって女たちに言ってくるよ」 「大聖堂」
少しずつ、このレイモンド・カーヴァーを村上春樹が翻訳した
短編集「ぼくが電話をかけている場所」を読んでいる。
裏には105円というレシートが貼ってある。ずっと前に買った短編集だ。
今日読んだのは、「出かけるって女たちに言ってくるくるよ」
「大聖堂」の二篇。
どちらも、壮絶だった。
強烈にレイモンド・カーヴァーの短編集から感じるのは、
「読後感をどうデザインするか」という感覚。
断ち切られるように、けれどこのタイミングしかないというところで物語が終わる。
その読後感は、おそらくなかなか味わない。
複雑だが、とてもよくできた感覚だ。
大いに余白を残す。その残し方が絶妙とでもいおうか。
「出かけるって女たちに言ってくるよ」は、
一見平穏で、明るいアメリカを感じさせるような場面が続いて、
暴力によって物語は断ち切られる。
その暴力は、まるでビールを飲むような描写とも差がなく、おおげささがなく表現される。
そこに、「暴力とは偏在的なものなのだ」という説得力を感じる。
暴力はどこにだって潜んでいるし、表層的な明るさで消し去ることもできない。むしろ、平穏は暴力を助長さえするのかもしれない。
そうやって、終盤に至るまでの平穏な描写にさえ、不穏さを遡求的に見出してしまう。
「大聖堂」は、他者がある種の了解に至るような物語。
つつみかくすことのない語り手の差別的な意識はなかなか強烈だ。
露悪的といってもいいし、人によっては痛快とえ感じるだろう。
盲人は言った。「テレビは二台持ってますよ。カラー・テレビと、昔ながらの白黒を一台ずつね。おかしいことに僕はテレビをつけるとなると、まあ、しょっちゅうつけてるわけだけど、きまってカラーの方をつけちゃうんだな。いつもそうなんだな。いつもそうなんだ。おかしいね」
それについていったいどう言えばいいのか、私にはわからなかった。言うべきことがまるで何もないのだ。感想無し。
こうした延々続くディスコミニケーションの描写は巧みで、
遮る壁の厚さを強く感じるものになっている。
だからこそ、彼らがある同じ境地へと達する瞬間へと運ぶ物語の力も、また強烈に感じる。
なぜそこに至ってしまったのか、もしかしたら登場人物たちでさえもわかっていないし、読み手もわからない、けれど、確かに「至ってしまった」という説得力がある。
その不可解さとカタルシスの間の、読後感。
おそらく、個別の小説の読後感を説明するとそういった感じになる。
特にこの二篇については、共通していえるのは、
相反する感情をないまぜにして絶妙なバランスになった瞬間に放り出す絶妙さ。
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カーヴァーの短編は、こんなイメージに近い。
自分のなかにある見たくない埃が積もっている小さな部屋。
自分でさえも、そんな部屋があることを忘れていた部屋。
それを静かに開けて見せる。
見覚えのある物が置かれている。
ただし、それが何の部屋かははっきりとは教えてもらえないし、分からない。
居心地がわるさもふくめて、居心地がいい。そんな部屋だ。
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現在入手しやすいのはこちらのシリーズのようだ。
まだ読んでいない作品がたくさんあるのは嬉しい。